イ:忌野清志郎
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キヨシロー(以下キヨシ)は、本当にタフなバンドマンだ。キャリアは長いが、歳を取らない!ロックを感じさせるルーズな態度と詩人の繊細さ。まさに、現時点でのバンド名の「ラフイータフイー」を地で行く男である。
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「RCサクセシヨン」を活動休止後、いろいろなバンドやらセッションやらがあって、一つひとつ魅力的(とくに、MG’Sとのレコーデイングとツアーは、グレイト)ではあったが、ここ数年の「ラフイータフイー」名義のバンド(メンバーは、藤井裕ちゃん以外は結構変動アリ)でのキヨシは本当に楽しそうだ。ギターは自分しかいないので、リードギターを弾きまくっている。
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昨年、そんな「ラフイータフイー」のツアーを記録した映画「不確かなメロデイー」が公開された。(DVDも発売中!)メンバーは、藤井裕(b)上原裕(ds)武田真治(sax)ジヨニーサンダース(kb・g)のベストメンバー!マイクロバスでの移動、オフの温泉風景、メンバーのコメント、そしてもちろんライブでの演奏もしっかり収録されている。
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その映画の主題歌になっているのが、「水の泡」という曲で、これは不思議な魅力があり、今、僕のお気に入りです。<あの娘は行ってしまったこんなに愛してるのにすべての努力もあっさり水の泡>シンプルだけど、しみじみ悲しい気分とは、こんなもんじゃないかい?「水の泡」・・・て。
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いつもその時代の音楽シーンの何処かに存在するしたたかな奴キヨシには、思い出話は似合わないけれど、僕がびっくりした事を2つ書いておきたい。
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最初にライブを観たのは、たぶん79年の春か夏、日比谷野音でのカルメンマキがトリのライブだと思うけど、その時は、目の前で演奏しているバンドがRCだとは最初気づかなかった。だって、RCは、「僕の好きな先生」で70年代はじめには、結構有名なフオークグループでしたからね。(僕は、彼等の「3番目に大事なもの」の歌詞に高校時代グッときてました)
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その日、まずギターのチャボが登場して、客席を煽って(しかし、客席の反応は少なし)から1曲目のイントロが始まり、キヨシが舞台袖から飛び出して来たんだけど、ケバイ服装と派手なアクションにまず目が奪われた。4〜5曲の演奏で、何を演ったか思い出せないけど、メロデイーのいい曲が多いな〜という印象ですっかり気に入ってしまった。終わって、今のバンドがRCだと聞いた時は、本当に驚いた。
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79年の暮れの渋谷屋根裏は、行ったけど満員で入れず、ライブ盤になった80年春の久保講堂は、出張で行けずで、しばらくぶりで観たその年の野音では、もうビッグな存在になりつつあった。とにかく、彼等のライブを観た人は、誰かにその良さを話さずにはいられなくなる(その道では、糸井重里が有名)みたいで、口コミでフアンは増え続けていった。(80年のはじめには、日本ロック界のスタンダードナンバー「雨あがりの夜空」のシングル盤が、リリースされている)
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80年の12月25日に渋谷公会堂でワンマンライブが決定し、そのチケットを発売日、会社の昼休みを利用してプレイガイドに買いに行ったら、もう2Fの最後列しか残ってなくて、彼等が本当にビッグになった事を実感した。(今のシステムなら発売後10分で完売に匹敵すると思います)
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そのライブは、RCにすっかりはまった僕の友人N君の奥様と2人で行って、旦那は、渋公の前で車を停めて、終わるのを待っていてくれた。とにかくびっくりしたのは、客席の盛り上がりで、1曲目から渋公の2Fの床が抜けるのではないかと本当に思うぐらい、みんなずっとジヤンプしていたのだ。あの夜、「ダーリン・ミシン」の間奏で、キヨシがピアノに向かって走った後ろ姿、最高に格好良かった!あの瞬間は、記憶の中に今も映像のように残っている。
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81年の12月24日には、日本武道館(こちらは、妻と行きました)に進出。それ以来、武道館もライブハウスもすべて「俺ん家の庭」のように、マイペースでカッコイイ演奏をするキヨシ。デビュー30周年を過ぎ、少し前は、篠原涼子なんて魅力的な若い女を膝まつかせ(デユエット曲「パーテイを抜け出そう」をリリース)たり、<若い女を紹介してくれ〜・・・(高齢化社会)>などと平気で歌う、少年のような中年男。
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| 僕にとってアイドルとは、忌野清志郎のためにある言葉なのだ! |
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2002年1月 YASU
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