ク:久保田麻琴

70年代中頃のライブで、僕をゆったりしたええ気分(当時の「シュガー・ベイブ」は、とげとげしかった印象がある)にさせてくれたバンドの双璧は、「久保田麻琴と夕焼け楽団」と「めんたんぴん」です。同時期に活躍した「ウエストロード」「憂歌団」「サウス・・・」「ソー・バッド・・・」などの関西勢が醸し出すブルースやソウルなど黒人音楽ベースのコッテリ味に較べると、少しあっさり目の味つけながら、ええ味出してました。

名古屋のセンチがLAの香りとしたら、北陸勢の彼等には、シスコの風が吹くといったところですか?「夕焼け楽団」も「めんたんぴん」も「グレイトフル・デッド」に影響を受けていたと思いますが、「めんたんぴん」は骨太のアメリカンロックバンドの、「夕焼け楽団」は今で言う「フイッシュ」などのジヤムバンドの雰囲気がありました。どんな場所でも、演奏が進むにつれ、観客をノセてゆき、最後には踊り出す人が続出のステージは、楽しかったな〜。

75年4月、日比谷野音の「スプリングカーニバル」では、「この後、富士山の麓に行きます。」と言っていたけど、そこまで歩いて行くんじゃないかと思わせるような、ヒッピー感覚のあるバンドでした。「夕焼け楽団」「めんたんぴん」のどちらも「ジョニー B グッド」をレパートリーにしていたけれど、その演奏スタイルは、裕也さんの目指すR&Rのカッコよさと対極のイナタイ感じで、それが彼等の個性(裕也さん、彼等、どっちのスタイルも好きですが…)だった事を思い出します。



「First Time I Met The Blues」というタイトルのブルースの名曲がありますが、僕の最初のブルース体験は、「サンセットギヤング」というアルバムのA面4曲目「河を下って」です。スローな曲調に久保田麻琴のルーズな歌、そして間奏のギター(ケンちゃん)やハープ(セノオちゃん)の入り方のカッコイイ事!そして何より、歌詞(日本語)にブルースを感じた。<河を下って歩いてゆく 川辺に座って物思い 考えてもベイビー さよならがひびくだけ…>浅川マキは例外として、初めてブルースのライブを聞いたのが74年12月30日捨得に於ける「ウエストロード」と「フアッツボトル」なので、その2年前にもうすでにブルースの洗礼を受けていたんだと、今改めて思いました。それだけ、当時の京都の高校生(僕の場合は、70年4月から73年3月まで)の廻りには、サブカルと関わる状況があったんだと思う。

このレコードを教えてくれたのは、同級生のM君だけど、山男の彼は、高校卒業直後に北山の山小屋で開かれた同窓会に「サンセットギヤング」を持って来た。山小屋までレコード持参も時代のなせる業だが、そこにあったステレオで皆踊った(A面3曲目の「ルイジアナ・ママ」で…)のも、懐かしい思い出です。また、京都の四条通に、祇園祭の鉾が横付けになるため7月は休みになる喫茶店があって、学校帰りに時々行きました。その店にはステレオがあって、客が持参のレコードを好きにかけていたんだけど、僕の記憶にあるのは、M君の「サンセットギヤング」とN君の「回帰線(南正人)」の2枚だけです。不良になれない、かといって勉強も今イチな連中が集まれる店というのが、当時の京都には何店かあって、今でいうカフエ文化?を気取っていたという訳です。

「夕焼け楽団」は、アメリカンロックから様々なルーツミュージックに、後期はセカンドラインのリズムに乗って「アイコアイコ」となり、そしてある日突然、久保田麻琴はニューウェイブ(サンデイー&サンセッツ)に変身して、僕を驚かせた。その後は、相方サンデイーのプロデューサーとして裏方となり、最近ようやくシンガーとしての活動を再開した。フアンとしては、もう一度「夕焼け楽団」のライブで、ゆったりしたええ気分になりたいもんです。

2002年 2月 YASU    


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左り馬