セ:千田雄一
千田雄一について書かねばと思っている内に、千載一遇のチャンス到来!何と千田さんのグループである「ニューエデン」が今頃になってメジャーデビューする事になりました。11月21日クラウンレコード(パナムレーベルではありません)より、「京都の喫茶店」(C/Wは、同曲のカラオケ)という作品でデビューです。(メンバーは、千田雄一・岡村一美・野玉亨)しかも、NHKBSで11月23日に平安神宮の特設ステージから全国へ生中継されたから、こりゃどうなってんの?という感じでしょ。作詞が秋元康、作曲・編曲が後藤次利というのもビックリですが、これは楽曲先行で歌い手をオーデイシヨンしたら、ニューエデンに白羽の矢が…という事情です。しかし、デビューにあたって由緒あるグループ名を、「みやこもり」に変えられるなんて、フアンは残念です。1976年、ヤマハのポプコンに出場(オムニバスのレコードに「目を閉じればあなたが」収録)した時は、「ラブトレイン」の名前だったし、ニューエデンはアマチュアグループとして、その名を残すという結果になりました。



中学時代に聴きに行ったAFLなどカレッジフオークのコンサートで聴く京都のアマチュアグループは、一部を除きメロデイ志向であったなと今になって思います。人気ラジオ番組「歌え!MBSヤングタウン」の今月の歌など、関西のカレッジフオークシーンは、新鮮なメロデイで溢れていました。もっとも、元ネタがビートルズであったり(当時僕のアイドルだったマヨネーズの「子守唄」は、ビートルズの「ティル・ゼア・ワズ・ユー」にそっくり)加山雄三であったりしたんでしょうが、そんな事はどうでもいい。生演奏で何度か聞く内に、レコードになってない曲を憶えてしまったりしました。高石・岡林に代表されるメッセージフオークにも衝撃を受けましたが、京都ではフオークルがメッセージ派とカレッジ派の間を取り持つ役割を果たし、どちらもよく聞きました。AFLのゲストとして、はじめて高石・岡林などを観たような気がします。このブッキングだけは、端田宣彦の功績として評価してもよいのではないでしょうか?中学時代観たAFLのメンバーでは、マヨネーズ(中島ようじ・故坂庭しょうご・箕岡おさむ)・ネコイラーズ(北村謙)・藤沢ミエ・メチャ&ペチャ(後にララバイ)・ジョニーウオーカー・イケーズ・花ちゃんなどの名前が思い出されます。

高校に入ると、クラブとして軽音楽部と共にフオークソング部(堀川高校では、アメ民=アメリカ民謡研究会と呼ぶ)というのもありました。僕は落語研究会などに入ったのですが、その部室は教室を仕切って、2/3が演劇部と落研が共有し、1/3はアメ民でした。ベニヤ板の向こうから聞こえてくるギターの音や歌声に、いつも羨ましいおもいがありました。僕が1年生の時、千田さん・上田さんの2年生に1年生の藏くんがメンバーの第1期ニューエデンが誕生しました。近くに居てよく練習の音を聞いていたのに、このメンバーでの演奏を観た記憶が薄いのです。AFLで観ているはずなのですが、「ライオンは寝ている」しか思い出せません。僕が2年生の時、1年生の女子森野さん(現岡村さん)がメンバーに入った第2期ニューエデンは、よく憶えています。当時3年生の千田さん野玉さんと1年生森野さんにもう一人(梅原さんか?)の4人編成で、千田さんはベースを弾いていたように思います。この第2期のメンバーで出演したラジオ番組「アクションヤング大丸」を録音していた事もあり、この時期の曲はよく憶えています。ディラン作ですが、バーズで有名な「ゴーイング・ノー・ホエア」のカバー。この曲での森野さんのコーラスは、控えめだがすごくいい。当時、バーズの「ロデオの恋人」というレコードまで買って聞きましたが、僕にはニューエデンのバージョンの方がシャープな感じで好きでした。また、ビージーズの「傷心の日々」など演奏するカバー曲のセンスについても、当時の千田さんは冴えていたし、フオークよりコーラスグループ志向が伺えます。当時、レターメンやブレッドが好きだなんて高校生は、超少数派だったでしょうね。

オリジナルもよい曲揃いで、「愛をのがれて」「ここで二人は」など、その2〜3年前であれば、クラウンパナムか東芝エキスプレスでレコード化されていたようなキャッチーなメロデイです。岡村さんとなられた今も清楚な美しさですが、当時の森野さんは静かな美少女という風で、レコードデビューしていればアイドルになっていたかもなど思います。71年という年、まだカレッジフオークの残党は居ましたが、洋楽はレッペやグランドフアンクなどロックの時代であり、邦楽は吉田拓郎という強烈な個性の出現で、カレッジフオークの連中が歌っていた愛だの恋は色褪せたもののように思われました。千田さんは、当時ソロでプレスリーの「アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラブ・ユー」を歌ったりしてましたから、時代の気分とシンクロせずにアマチュア時代を過ごしていたという訳です。考えれば、70年代前半にプレスリーなんて言っていたのは、他には大滝詠一ぐらいでしょう。73年頃の音源を聞くと、編成はフオークだがハーモニーを重視したコーラスなど、今ならソフトロックというジャンルで評価される音楽だと思います。その後、プロの仕事も経験されて、祇園の高級クラブでギターの先生をやっている千田さんと偶然再開した僕は、先斗町に「アコーステイック」というお店を開かれてから時々お邪魔して、千田さんのオリジナル曲や「愛への不信」「砂にまみれて」などを一緒に歌わせていただく光栄に預かっています。

話は、冒頭のメジャーデビューに戻ります。曲はさすがに悪くない。詩が凡庸だが、テレビに乗せるには「京都・喫茶店・自由・学生集会」など必要なキーワードなんだろう。でも、うたの手作り感が感じられない。歌わされているかごの鳥みたいに固い感じ。これは、好きなグループだからこそ感じる違和感なのでしょう。この気分は、マヨネーズのメジャーデビュー曲「男の子だから」のレコードで、遠くで歌っているような要次さんの声とストリングスを聞いて、そのミックスに「あれっ?」と思った以来です。しかし、この「京都の喫茶店」という曲、ローカルヒットでもいいからオリコンにチャートインをして、「みやこもり」の音楽を知るきっかけになって欲しい。そして2枚目は、オリジナル曲の「みやこもりうた」を納得のいくレコーデイングやミックスの後、リリースして欲しいと願っています。晩年に再び活躍したブルーズシンガー、スリーピー・ジョー・エステスのように、千田さんまだまだ元気で頑張ってください。そして、いつまでも素敵なママと仲良くお幸せに!

2003年12月 YASU    

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左り馬