ウ:内田裕也

裕也さんは、タイガースをプロデビューさせたり、FTBを率いて70年代はじめに世界進出を狙ったり、ニューイヤーロックフエスを30年近く続けたりとプロデユーサーとしての印象が強い。

歌手としてはあまり記録(音源)が残っていない(現在、CDで発売されていない作品が多いのが残念)し、ライブもそうそう観る機会を与えない人ですが、ご存知のように存在(生き方)そのものがロックンロールであり、裕也さんが、「ロックンロール」とつぶやく時、日本のロックの歴史のちり(今になって、わかる事も多いちりです)が舞い上がるような気がします。

00年9月9日、JR京都駅の構内(大階段付近)で、裕也さん、桑名正博、ジョー山中という組み合わせの無料ライブがあり、僕も出張帰りにそのまま駆けつけました。バッキングも、ジョニー吉長(ds)永本忠(b)深町純(kd)他となかなか渋いメンツの中、裕也さんは、「コミック雑誌はいらない」や「ブルースエードシューズ」そして定番の「ジョニーBグッド〜ルート66」など、この20年間不動の選曲を中心に歌い、キング・オブ・ロックンロールの存在を充分に見せつけてくれました。

しかし、何故、突然あのような顔合わせの無料ライブが、JR京都駅の3周年記念事業として行われたのか?今も僕には謎のままです。



裕也さんで思い出すのは、浅草国際劇場閉館前のニューイヤーロックフエス(81年の大晦日〜82年の元旦)です。僕は妻と2階から観ていたのだけど、とにかく凄い入り(全部が自由席のため、会場をぐるりと取り囲む人をかき分け、押し倒されないようにと命掛けで入場したら、トップのハウンドドッグは終わっていた)と凄いノリで、宇崎竜童が客席へダイブしたりする中、アナーキーの出番の時、客がどんどん舞台に上がってきた。安岡力也などが客を押し返す(というよりぶん投げていた)が、間に合わない。その時、裕也さんがマイクで「これ以上になると、続けられなくなる。降りてくれ、頼むよ」と訴えると、みんな客席に戻った。こりゃスゴイなと思っていたら、深夜になり客席が疲れてきた頃、裕也さん「お前ら、元気ないじゃないか。頼むよ!」とマイク。思わず、「どっちやねん!」と突っ込んでしまいました。

もう一つ、80年前後に毎年5月に日比谷野音で開かれていたジヤパンロックフエスの何年の時か忘れた(桑名正博&テイアドロップスがトリの時)けれど、アンコールの連呼を続け、帰らない客に対し、裕也さん「お前らが、ゴミを一つでも拾って帰ってくれるなら、もう1曲出来るんだ。頼むよ」と訴えた。これも、「ここに、ゴミ拾うような奴おるか!」と思わず突っ込みましたが、そんなプロデユーサーとしての裕也さんの姿勢と思わず口をつく言葉が大好きです。

舞台袖で心配そうに進行を見守りながら、時にスタッフに強い調子で指示を出す裕也さん。ステージで歌っていても、ギタリストのシールドの乱れを気にしてしまうその姿。ロックンロールバカの最も幸せな瞬間は、ステージにあると思わずにはいられません。

最近は、主演映画のDVD化があったりして、映画界の人になったような気もするけれど、今後とも、音楽プロデユーサーとして、ロックフエスをガンガン仕掛けてください。そして、いつまでもライブでおなじみの歌を聞かせてください。ロックンロール!

2002年1月 YASU    



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