2011年2月の記録と記憶

2011年2月の記録と記憶

末吉効果現わる?今年の1月2日に高島屋京都店の正面玄関に変わった福袋の告知を見つけました。高島屋180周年+KBS60周年記念福袋「あなたが夢のパーソナリティー」、要するにKBSラジオの30分番組枠の権利を福袋にしている訳です。 抽選で1名様という事でしたが、応募してみました。番組の企画案は3つ。(1)「みんなで歌おうフォーク!フォーク!」のマヨネーズ特集(2)「3時の希望ディスク」の再現(3)KBSラジオもしくは当時のディレクター所蔵の放送音源の蔵出し(とくに、円山野音のミカバンドを期待!)です。 数日後に投票箱の中を覗くと、けっこう応募用紙が入っていたのでこれは当たらないなと思っていたら、1月中旬に突然電話があり「おめでとうございます。当選です。」とのお知らせ。窓口となったKBSの営業N氏と相談の結果、(1)案が採用されました。

マヨネーズは、私が中学時代のアイドルだった地元京都のフォークグループで、ギターとリードボーカル中島要次、ギターとバンジョー坂庭省吾(故人)、ウッドベース箕岡修の3人(当時大学生)です。私の記憶では、1969年が最も活躍した年だったと思います。 当時バンジョーをフィーチュアしたグループは珍しく、賑やかな印象でしたが。要次さんの甘いボーカルに省吾さん、箕岡さんのハーモニーが重なるバラード曲(「マヨネーズの子守歌」など)も素敵でした。1970年2月「MBSヤングタウン」の今月の歌として紹介された 「男の子だから」のシングル(裏面は「いなかへ行こう」)1枚だけしかスタジオ録音が残っていないのが残念です。「みんなで歌おうフォーク!フォーク!」公開録音のスタジオでメンバーにサインをしてもらったり、円山野音でオフショットの写真を撮らせてもらったりと、いろいろ思い出があります。 坂庭さんは、ナターシャセブンなどで活躍されていましたが、先年亡くなられました。要次さんはお元気だそうですが、現在音楽活動はされていません。唯一、箕さんだけがウクレレ片手に今も時々歌っておられます。運命的な出会いと申しますか、昨年の12月に私の中学時代の友人Mくんから電話で、 「今、箕さんと飲んでるんやけど、来いひんか?」という誘いがあり、Mくんの店でお会いして一緒にマヨネーズの曲を歌いました。何しろその場に居る我々かつてのマヨネーズ追っかけ3人組(井上とモリ&コバ)は、箕さんが忘れているマヨネーズの歌詞がほとんど頭に入っているのです。その時に、 「どこかで誰かが」という楽曲にまつわる不思議なご縁の話を聞きました。その話が記憶に残っている時に、冒頭の福袋が当たったという訳ですから、これもご縁でしょう。番組では、箕さんとモリ&コバによるスタジオライブ(セッティングしてくれたKBSの技術スタッフに感謝!)「どこかで誰かが」の他、 レコード音源で「いなかへ行こう」、CD音源で「砂にまみれて」もオンエアされました。先程の不思議なご縁の話も、箕さん自身が語っておられます。DJは私と山崎弘士さん(1969年当時「みんなで歌おうフォーク!フォーク!」の司会者でした)、2月15日収録、2月27日16時45分から30分間、KBSラジオでオンエアされました。

映画は、「わが心の歌舞伎座」「ヒアアフター」「セックスと嘘とビデオテープとウソ(松江哲明監督)」を観ました。お芝居は、松竹座の「二月大歌舞伎」夜の部、南北作「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」、松島屋さん昼夜とも通し狂言で大奮闘です。落語は、堀川高校の同級生、桂都丸改め塩鯛の襲名落語会ファイナル南座公演昼の部。 南座で、米団治の「七段目」が聴けてちょっとトクした気分。塩鯛師匠は、襲名を機に、いつも確かな噺が聴ける安心印の看板を背負った落語家さんになられました。庶民的で誠実な人柄は相変わらずで、それも魅力です。音楽は、ウーララでの奇妙くんの弾き語りだけでしたが、一緒に出た金丸亮太という人の「どすこいラブ」という曲はスゴイ。 巡業するお相撲さんを題材にした歌は、初めて聴いた。相撲やプロレスの巡業風景は、何処か懐かしい昭和の匂いがしますが、「どすこいラブ」はジャクソン・ブラウンの「ザ・ロードアウト」と同じように、歌詞に描かれている世界が目に浮かんできます。それまで静かだった客席の片隅からも、「どすこい!どすこい!」のレスポンスが小さく起こり、それも微妙にいい感じでした。

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